思考のヨガをし続けること

去年、コロナで全く動かさなくなってしまった体に危機感を覚え、当時にわかに盛り上がり始めていたオンラインヨガに入会した。

初めのうちはよかった。

毎朝、寝起きのボサボサ状態で30分〜1時間体を動かす。

ヨガに特別興味を抱いていたわけではなかったが、それでもインストラクターの方が指示してくれるままに動いているだけで体の筋が伸ばされ、終わった頃には頭も少しスッキリしている。

すっかりハマりきって平日はヨガで1日をスタートする日が続いた。

 

終わりは1ヶ月後、突然訪れた。

ぎっくり腰になった。

ずっと運動という運動もしていなかった体にいきなり毎朝のヨガをぶち込んでしまったからだと思う。

しばらくは長座ができず、1ヶ月くらいはほぼ床に転がっていたと思う。

病院に行ってリハビリをするも完治には程遠く、ヨガどころの騒ぎではなくなってしまった。

 

その後色々あって、最終的に軽めのランニングに落ち着き、結局ヨガとはお別れを告げてしまった。オンラインヨガも解約した。

いっときの楽しみをありがとう。

 

でも最近になって、あの短期間だけ集中的にやっていたヨガのちょっとした精神みたいなものが自分の中に小さく根付いていることに気づいた。

それは「思考でヨガ」をするということ。

 

体を動かすヨガをやっていた時は、ヨガは体の動きを通じて心身を調整するものだと考えていた。

ところが最近、日常のなんでもない瞬間に「あぁ、今ヨガしているなぁ」と感じることがある。

些細なことを考えている瞬間、日常生活の改善事項について頭の中であれこれブレストしている時の感覚は、ヨガで得ていたある種の快感に近しいものがある(気がする)。

 

逆に腰を落ち着けて思考ができない時、情報を受動的に受け取ってばかりでアウトプットをしない時はそこはかとない不快感が頭の中に滞在し続ける。体でいうと気の流れが滞るとか、血流が悪くなるとかそういう感じ?

 

調べると「ヨガ」とは調和やバランスを指す言葉だそう。

体を動かす健康法としてのヨガを学んでいるつもりだったが、(残念ながらそっちは失敗して)思考でヨガをすることが恐らくできるし、それは結構有用だという結論に今のところ至った。(ここまでヨガヨガ言うと、しかも思考がどうの言い出すとちょっと怪しい感じになってくるけど)

 

一瞬だったけどやってみてよかったな、ヨガ。

思考のヨガは多分一生忘れない。何しろ自分が快適なので。

マイナーチェンジでよくなることとそうじゃないことがあって、そうじゃないことの方が重要だ

纏まっていない考えの途中経過を書く。

人生の構成みたいなものを考える機会がちょこちょこある。

何に何%のリソースを割くか、といったことだ。

今はこれに時間を割き過ぎているからもう少し減らしたいとか

ここの時間とリソースは無駄だから、別のことに使えるんじゃないか、とか。

そういうことを考えて、マイナーチェンジを繰り返して最適化していくのがもはや趣味の1つだと言える。カイゼンが趣味なのだ。

 

でも気づいていることが1つある。私はこれを繰り返してきてなお、自分の人生が最適だとは思えていない、ということだ。

どこかで気持ちが逃げている。

どこかで言い訳している自分がいる。

自分の人生に向き合えていないことだけははっきりと理解できる。

つまり大局的に見ると人生の最適化に失敗している、今のところ。

 

うまくいかないなぁ、思い通りにいかないなぁ、と思うことの解決を諦め続けてきたからかもしれない。

思い返すと嫌だなぁと思うことに対して反抗したり拒否したりすることができなかった場面がいくつもある。思考をレイプされていたのに自分の意思を表明することもなく、ただその時間が過ぎるのを待っていた感覚。

これをよくない事だと気づいていなかった子供の頃の自分、どうやったら当時気づけていたのだろう。みんなちゃんとそういうことを拒否する生理的な機能がついていて、咄嗟に反射的に反応できるようになっているんだろうか。私はたまたまその機能が欠損していたんだろうか。

小さなことでもちゃんと拒否したり諦めずに自分の考えを突き詰めて、相手に理解してもらう努力をすべきだったと今なら思う。

自分のノータリン具合を嘆いても時間は戻らないが。

 

意見のない人間はカオナシと同じだ。

私は立派にカオナシとして生きてきたと思う。

40年弱カオナシをやっていると、人生をやる上で結構エッセンシャルな部分が足りないままになる。

自分の感情に敏感になることの大切さ、感じた違和感を他人に理解してもらうために考えを表現する努力と練習、を、小さい頃からしておくべきだと思う。

続・緊張感なしで生きたい

 

昨日の記事から、具体的にやらないと決めた事。

・人前に出る仕事を受けない

・無理しない

・出来ないと思うことにチャレンジしようとしない

・予定を詰め込まない

・やりたくないことをしない

 

やると決めた事。

・全力で上記5つを避ける

 

 

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ただの我儘なんだけど、結局人はみんな我儘に生きているものだと思うので。

私がやらなくても、好きな人やりたい人がやる。

そのために人がたくさんいるし、色んな人がいる。

 

全力で緊張感のない人生を歩むぞ。

 

 

残りは緊張感のない人生を歩むことにしようと思う

ここのところ色々あり、完全にメンタルがやられてしまっていた。

別に人に助けを求めなければならないほどではない。

以前からリカバリーは自分でできる方だ。

それでも数日単位で気持ちが元に戻らないので、やっぱりダメージは受けているのだと思う。

鏡に写る自分の顔が冴えないし、肌の調子も悪い。

 

昔から小さなことを気にしてしまうタチで、他人は全く気にしていない、気にするはずもない(相手と自分両方の)小さな所作ややりとりからすらストレスを発生させてしまう。

相手の微妙な表情が気になって、話の筋が掴めなくなってしまい結果的に思ったようなコミュニケーションが取れないこともある。

「こともある」と書いたのは、取れる「こともある」から。

気分や調子の良さのムラが激しいのだ。

 

でも流石に30年以上この気質と付き合ってきて(ここ数年他人から離れて生きてきたことも手伝って)、わかったことがある。

どんな理由であれ緊張していると、うまく振る舞えない傾向が強くなっていくことだ。

 

一見すると当たり前でしょう、という話なのだけど。

緊張感って一瞬のものだと思いがちで(人前に出る直前や出ている最中とか)、長くても数分で終わるような感覚だった。

でもどうやら私の場合はそうではなく、何か緊張することがあると、その後数日〜下手をすると次の緊張するべきタイミングまで緊張状態が続いてしまうのだ。理由はわからないけど、とにかくずっと緊張しておかなければいけない、と私の脳が指令を出してしまう。

そして結果としてものすごく疲れた状態、仕事などやらなければいけないこと以外何もできない状態、ストレスを感じているがどう和げていいかわからない状態が続くのだ。

 

今回久しぶりに他人と関わるタスクを始めて、実際問題本当に参ってしまっている。

と同時に、これの原因が他人そのものではなく、自分の「緊張状態」にあることが掴めたことは1つ収穫でもある。

なのでタイトル通り、これからはいかに緊張感なく生きるかに重点を置いて生きていきたいと思う。

何かを考える時、スタートする時、「これは緊張を強いられる案件か」「緊張感なくやれる方法はあるか」をまず考えたい。

緊張感なく生きることができれば私の人生は勝ったも同然。(極端)

 

 

3月9日なので。

今日は自分にとって特別な日ではないけど、区切りの日ではあるので、39にちなんで感謝の気持ちを思い出す日にしようと思う。

区切りの日が感謝すべき日ってのも悪くないでしょう、ということで。

 

まずこの1年、できることが限られてしまったけれど、新たに追加できた習慣について。

ランニングが何とまるっと半年以上続いている。

頻度はまちまちだけど、週2回はキープできているかな。

毎度2キロとかなので大した距離ではないけど、大体週3〜4回は走っている。

半年前は100mも走るのが嫌だった人間だから、2000m走っているのは自分でも驚くことなのよ。

低〜い階段だけど、登れたような気がして嬉しい。笑

 

後は結婚してから9年間、大きな問題や怪我、病気もなく過ごしてこられたこと。

それを可能にしてくれた家族、親戚にも大感謝したい。

物事には色んな側面があるけど、私にとって結婚はある種の救いだった。

1人でも生きていけるとは思うけど、2人の方がより楽しく冒険ができていると思う。

 

明日から気持ち新たに頑張ろう!とかはないけど笑、また何か良いことを積み重ねられるようにはしたいと思う。

 

ゆるく考える:自分のリソース

脳みそのリソースを何に使うかは結構重要な選択である。

久しぶりに他人の仕事を手伝うということをしたら、見事に日常生活の他の部分に割り振っていた思考力や思考量がそれに奪われてしまった。

そもそもの絶対量は個人によって違うのだろうが、私の場合はそこまで余裕がないらしい。

8時間ほどオフィスで生活以外のことを考えただけで、日常生活をうまく回せなくなった。夜に帰宅して1から晩ご飯を考える気力などあったものではない。

以前日本で働いていた時どうしていたんだろう?自分でも不思議。でもフルタイム×2名で仕事をしていた時の方が家庭内がギスギスすることは多かった気がする。どちらも余裕がないからなんだろうな。

そう考えるとフルタイムで仕事をしている、子育てもしている人って本当にすごい。

段取りを組みまくって如何に平日に家事をせずに済むかが勝負なのかもしれないと思う。

それはそれでゲームっぽくて攻略法を考える面白さがあるのかもしれないけど、何事もシャカリキに頑張ることがそんなに好きじゃない性分なので(シャカリキに頑張って良い結果につながるタイプと繋がらないタイプがいると思うが、私は後者)、やっぱり仕事にせよ何にせよ、集中して生活以外のタスクに取り組むのは1日4時間までが適切かなと思う。

その程度の時間を適度に集中するのは気分的にも良いものがあるし、余裕も保てる。

余裕が保てると他人に対して思いやりを忘れずにいることができる。(これ大事)

つまり自分を保っていられるということかな。

どの程度の時間や強度までそれができるかは個人のキャパシティによるんだと思う。

私の場合は、4時間/日くらいが現時点の解みたいだ。

逆にいうとあまりに集中時間が少な過ぎてもよくないということで、1日が無為以外の何物でもなくなる。主観的にそう感じることが続くと精神衛生上あまりよろしくない。

家のことが好きなので、俗に家事と呼ばれるものもある程度は楽しみの対象でもある。(完璧にやりたいとかじゃなく、楽しい範囲と分量だけやりたい笑)

適度に何かに集中し、適度に生活に対して能動性を保っている感覚があり、他人との適切な距離感が保てている感じ。どれも適正量だけ存在することが私の脳には大切なのだと思う。

自分のリソースの使い方を常にゆるく考えている。

自分で髪を切ってみたら色々思った

自分で髪を切ってみた話。

引っ越しが多くてここ数年決まった美容院に通えていない。

とはいえいつも大体仕上げは同じで、ワンレンのボブ。たまに気が向いたら前髪を切ったりする。

今回も今住んでいる街に引っ越してきて1度だけ行ったサロンを再訪するのが何となく億劫で、既に半年弱放置してしまっていた。

美容院は元々苦手なのに、住む場所が変わるたびにはじめましてをしなきゃいけないのが本当に苦痛だ。

知らない人相手に2時間たっぷり話すのって修行。

地蔵のように黙り続ける勇気もない私は、毎度上げすぎたテンションのおかげで帰り道干物みたいに干からびてしまっている。

髪型がどう、自分がどうなりたい・どうなった、よりも美容師さんとのコミュニケーションを如何に乗り切るかに脳みその全てのリソースを投入してしまう。

というわけで、そろそろ髪を切りたいでも億劫、伸ばしたい気もするしあーどうしよう、と考えているうちに、何だかもう訳が分からなくなって気づいたら自分で髪を切っていた。

一応YouTubeやブログで事前にざっくり勉強してから、スキばさみなら大火事にはならなかろうとジャキ、ジャキ、とやってみる。

おおよそ狙った部分に軽さが出てくると、「お?これいけるんちゃう?」と楽しくなってきてどんどんいってしまう。

最終的に両手1杯分くらいの髪をすいた。

切る前の重々しかった頭が体感2/3位に軽くなった。

元々が伸び過ぎの汚ヘアーだったので、自分で切ったところで大して悪い方向にも向かっていない。

なーんや、これでいいんや。である。

ちなみにその日の夜は普通に人と会ったが散髪したことには気づかれなかった(実際ちょっと軽さが出た程度で見た目はそんなに変わっていなかった)。

 

翌朝、襟足の中の部分の長さが気になったので簡単にブロッキングして短く切ってみた。内側なのであまり見えないだろう、ということで大体でハサミを入れる(素人×不器用×大体というヤバい組み合わせ)。

襟足が短くなると、一気に全体の印象が変わった。

セミロングだったのが、ボブになった。

ブロッキングを外して全体のバランスを見ながらはみ出た部分などをちょいちょいカットして整えていく。

「やりすぎない」だけを心に、よしなに仕上げた。

 

正直仕上がりはプロに言わせるとアレなんだと思う。

でもね、普段から美容に気を遣っていない手入れもろくにしない私にとっては今回のカットは割と満足いくものに仕上がったと思う。

それより何より、「自分の髪って自分でカットしていいんだ」という気付きを得られたことが大きい。髪って自分のものなのに、何故か自分で手を入れてはいけない聖域みたいに考えてしまっているところがあったから。

自分の体の一部なのに自分でコントロールできないってのがすごく嫌だったんだと思う。

なので今回自分で髪を切ってみて、その心理的ハードルを取り除くことができたのはよかった。

今後は気が向いた時にちょこちょこ自分で手入れできると思うと、自分の外見に対する主導権をちょっと取り戻したような感じ。

毎度引っ越し先の知らない美容師さんに全権を譲るしかないと(勝手に)思っていたけど、そうじゃない選択肢を持てたことで気持ち的にも少し余裕が持てた気がする。

何事も人任せじゃなく自分でやった方が楽しいことは知ってたけど、髪の毛お前もか。